思わず親近感を抱かずにはいられない、その女性はいにしえの絵巻のなかにいた。平安時代末期、様々な病を描き絵巻物にしたてた『病草紙(やまいのそうし)』。そこに「不眠の女性」が登場する。同室の女官たちが黒髪を乱すのもお構いなしにぐっすり寝入るその横で、ひとりだけ身を起こし、うつろな視線で遠くを見つめながら指折り数えている女官……。詞書にはこう記されている。
「よもすがら おきゐて なによりもわびしきことなり とぞいひける」。
鬼や妖怪が存在したとされる漆黒の闇に覆われた平安時代の夜、眠れぬ時間を持て余したその女性は心に何を抱えていたのだろう。重く切ないため息が今にも聞こえてきそうだ。
はるか時を隔てた今、夜は賑やかだ。深夜のテレビ、パソコンや携帯もあるし、コンビニ、ファミレスは24時間営業、その気になればいくらでも時間がつぶせる。けれど現代においても、「眠れない人々」の心によぎるものは平安時代の女官と同じく、「なによりもわびしきことなり」にちがいない。真夜中、みんなはすやすや夢のなかだというのに、自分だけ安らかな夜からおいてきぼりを食ってしまったような焦りと孤独。布団にもぐり直し、寝返りを繰り返すうちに、何だか部屋の時計の音が大きく聞こえる気もしてきて、苛立ちは増すばかり。羊を数えて眠ることができたのはいつの頃だっただろう……。かつて長い間、私もまた眠りに迎えに来てもらえない、ひとりぼっちの闇のなかにいた。
私が不眠を感じるようになったのは20代後半の頃だった。きっかけは、会社を辞めフリーランスの執筆業について生活環境が変わったことにはじまる。私のように職住一体のフリーの生活というものはただでさえメリハリが乏しくなりがちだが、その上、「夜型」ときていて、たいてい原稿に取りかかるのは日が暮れる頃。集中して原稿を書いたはいいが、いざ仕事を終えて寝ようと思っても今度はなかなか緊張が抜けない。布団に入ってからも、疲れているはずの頭のなかに次から次へと「言葉たち」が、まるでマンガの吹き出しのように浮かんできて、わずかに感じていた眠気をどこかへ連れ去っていくのだった。
ワタシ、いったいどうやって眠りに入っていたんだっけ?
「寝ないでいる」のはあるところまで意識でコントロールできるのに、「眠る」ことは自然にゆだねるしかない。私は、思いが通じない愛しいものに執着するように「眠り」を切望した。おまけに理想だけは高く、「すとんとぐっすり!できれば8時間!!」などと唱えていた。しかし、眠りを意識し、「理想の睡眠」にこだわればこだわるほど事態は悪化した。悶々と夜を過ごすこと数時間、朝刊が外のポストに入る音が響いてくるともうダメだ。焦燥感に眠れぬまま朝を迎えてしまったという挫折感が加わり、ため息というには大きすぎる叫びが口をついた。やがて、布団に入ることにも小さな怯えを抱くようになった。
「また今夜も眠れないかもしれない」。
















